ボタンの図柄の定番はズバリ過激な性描写だった

男性にとっては、恋人のブラウスのボタンをひとつずつ外していくのは、背中に手をまわしてファスナーをおろすのとはちがい、恋人の肌をゆっくりと露わにする楽しみがあるらしい。

ボタンは、着やすく、また脱ぎやすくするための機能性に優れた小物だが、こうした隠れた楽しみを与えてくれるスグレモノでもあったようだ。

その時代には、まだ顔の汗を積極的に止めようとする習慣も無かったみたいだが、現在では顔汗 止める | 91.7%が実感した日本初の顔汗対策法!のサイトに代表されるように、クリームやジェルを活用して顔から吹き出る汗を止めようとする試みが慣れれていす。

18世紀のヨーロッパ社会のファッションでは、ボタンはとくに注目されたアクセサリーだった。
フリルをあしらったり、服のラインを目立たせるためにスカートを膨らませたりするような、華やかなフランスの宮廷ファッションが影をひそめて、まるで寝間着を着ているような質素なイギリスファッションが主流になってくると、地味な服をなんとか目立たせたいと願う人々が、ボタンに目をつけた。

不格好なまでに大きなボタンをつけてみたり、ボタンひとつひとつに精巧な細工をほどこしてみたり、しまいには、宝石のような高価なものをボタンにする人まであらわれる始末で、ほかに目立つ手段がないせいか、ボタンにかける情熱は並大抵ではなかったようだ。

その中でひときわ目をひいたのが、ズバリ、男女のセックスシーンを綿密に描いたボタン。全裸でベッドに横だわった女性の乳房を後ろから両手でもみしだいている男性や、アダルトビデオさながらに、たくましい男性に組み敷かれている女性など、目のやり場に困りそうなほど、リアルに描かれている。

体位も正常位から後背位、はたまた横臥位ありと、四八手よろしくバラエティーに富んでいた。じつはボタンは当時のセックス教本なのでは? と思ってしまうほど豊富だ。

なにも知らない無垢な女性が、その露骨なボタンの絵に赤面するのを見るのが、紳士の密かな楽しみだったらしい。いまならりっぱなセクハラで、とても紳士の行為とは思えないが、当時は、そういったことが平気でおこなわれた。
つまり、ボタンは、日本の浮世絵と同じように、精巧な技術を駆使した風俗画の役割を果たしていたことになるのである。

なんと宝石をボタンがわりにしていた優雅な時代

19世紀後半に、ポーケ兄弟が出版した版画は、1408年に描かれた肖像画をもとにつくられたものだが、当時のファッションの貴重な資料となっている。

ここに描かれた貴婦人の名は、モンタギュ夫人パクリーヌ。ブルゴーニュ公国の女性だ。彼女が生きた一五世紀初頭のフランスではイギリスとの戦いの影響で、首都のパリよりもブルゴーニュ地方のほうが繁栄していた。

パクリーヌは、二枚のドレスを身にまとっているが、下に着たコタルディーというドレスに巻いたサッシュベルトの美しい装飾が見えるように、シュルコートゥヴェールというドレスの脇ぐりを大きく開けて上に重ねて着ていた。

この上に着たドレスの胸元には白テンの毛皮を飾り、胸飾りの下からは、ズラッと宝石が列をなしている。つまり、宝石がボタンの役割をしているというわけだ。このようにルビーやエメラルドなどの宝石をドレスのボタンがわりに使うのは15世紀ごろから盛んになった。
その後、17世紀に入ると、がぜんダイヤモンドの人気が高くなってくる。ダイヤモンドの研磨技術が進み、その輝きに女性が魅了されたためだ。

1715年に、フランス王ルイ14世がペルシャ使節の謁見時に着ていた衣装には、上着と帽子に2150万リーブル分(およそ2150億円)ものダイヤモンドがちりばめられていたという。また、トルコ大使の謁見時には、大粒のダイヤモンドをボタンにしたビロードの服を着ていたというから、いかに贅沢にダイヤモンドを使っていたかがわかるというものだ。

ちなみに、礼装にもちいられるカフスボタンは、だいたいルイ14世の時代から使われはじめたという。いまでは、あまり使われなくなったカフスボタンだが、宝石をボタンに使う、優雅なファッションの名残といえるかもしれない。

ゲイ同士の秘密メツセージに使われる服飾品とは

ゲイがテレビドラマに登場したり、「おかまバー」がはやったり、けては「男同士の結婚を認めてほしい」というカップルが登場したりと、同性愛に関してあけっぴろげになってはいるか、それでも、わざわざ「私はゲイです」なんて宣伝して歩こうとはしない人のほうがまだまだ多いだろう。
だからといって彼らが一生一人ぼっちなわけでもない。当然、出会いの方法がいろいろあるだろうが、中でも、見ただけで”お仲間”とわかる合図がある。

たとえば、お尻のポケットに見えるようにバンダナを入れるのもそのひとつ。それも、右側のポケットか左側のポケットかで意味がちかってくる。積極的にリードしたい男性は左側に、逆に相手のリードに身を任せたい男性は右側にするのが基本。

もともとバンダナは、ヒンディー語の回乱ゴ~(絞り染めの方法の意味)から名の付いた色鮮やかなハンカチで、カウボーイに人気があったもの。彼らは、バンダナを顔のはこりよけなどに使った。そんなタフな男たちに愛用されたバンダナだからこそ、男だけの世界(?)にはなくてはならないものになっだのかもしれない。

ワニ皮のバッグを大ヒットさせたメーカーといえば

ワニ革、とりわけクロコダイルの皮でつくったバッグには、エナメルのような輝きと、幾何学模様的な美しい凹凸が、いかにも高級な質感をかもし出す。

いまでは、クロコダイルもどきのバッグも大量にでまわり、本物とはちがったレプリカのよさを売り物にしているメーカーも多いが、そんな風潮とは一線を画しか折り紙つきの一流メーカーがモラビト社だ。

1901年に、モラビト社はクロコダイルのバッグを発表。とくに子ワニの「べべ・クロコ」という作品は最高級のもので、別名「モラビトークロコダイル」ともよばれ、高価なものであるにもかかわらず、世界の貴婦人だちから注文が殺到したといわれている。

また、モラビト社のクロコダイルのバッグの愛用者には著名人も数多く、ロスチャイルド夫妻やフランスの有名な女優カトリーヌードヌーブ、さらにはフランスの歴代大統領なども名を連ねているそうだ。

ちなみに、モラビト社の一流メーカーとしての布石は、1905年にさかのぼる。

ナポリ出身のジャンーモラビトが、南フランスのニースで、バカンスに訪れる貴婦人たちのパーティー用イブニングバッグとして、バッグの口金にべっこうを使った斬新な作品を発表したことにあるとされている。

このヒットにより、上流階級のご婦人がたに一目おかれるようになったモラビト社が、決定的な大ヒットを狙って、世に送り出しだのがクロコダイルのバッグだったというわけだ。

一流の名をほしいままにしているモラビト社だが、花の都パリではなく、バカンスを楽しむニースというリゾート地にアトリエを開いたことが、ほかのライバル社に差をつけて、目立つことができたいちばんの理由だろう。モラビト社は、デザインのセンスや職人的な技ももちろんだが、自分の会社を売りこむ才能にも長けていたというわけだ。

プロ用ダイバーズウォッチを作った一通の手紙

スキューバダイビングに熱中する人が年々増えている。幻想的な海の中の世界を気軽に散歩できる快感は、一度体験するとやみつきになるらしい。とはいっても、自然を相手にするのだから、万全の準備が必要。ダイビング用品はもちろんだが、ついつい海の美しさに見とれて長居をしないためにも正確な時計が必要である。

さて、時計は水に弱い”というのは過去のことで、いまでは高性能なダイバーズウォッチが数多く開発されている。なかでもプロのダイバーたちに大人気のメーカーが、セイコー社だ。これは、いったいなぜなのだろう。答えのひとつに、こんなエピソードがある。

ある日、セイコー社へ広島のプロダイバーから手紙が届いた。

その内容とは、ヘリウムをふくんだ空気の入っだカプセルに乗って、深い海で作業をおこなう(プロのダイバーは、通常のスキューバダイビングのように酸素ボンベを背負うのではなく、カプセルに入ったまま海に潜る場合もある)と、水圧の凄さももちろんだが、小さな分子であるヘリウムが、時計の内部に侵入して時計を壊してしまうし、場合によっては、ヘリウムの侵入がきっかけで時計が爆発してしまう。
また、海底での作業は、敏速な行動がとりにくく岩礁に時計をぶつけてしまい、時計が何個あっても足りないという。

そこで、そんな深海の水圧にも耐え、またどんな小さな分子も通さず、少々の衝撃では絶対に壊れない、ダイバーのための頑丈な時計をぜひ開発してくれ、というものだった。

そのころ、ISO(国際標準化機構)規格では、ヘリウムを使って潜る場合のダイバーズウォッチに対する明確な基準というものはなく、メーカーサイドとしては商品化のための問題にはなりえないとの見解だったのだが、セイコー社はプロに通用する時計をつくりたいと、ヘリウムを使っても壊れないダイバーズウォッチの研究に乗り出した。そして七年の歳月をかけて600メートルの深海まで潜れる高性能のダイバーズウォッチの製品化に成功した。その後もつぎつぎと開発を重ね、セイコー社はプロのダイバーからの絶大な信頼を獲得するにいたったというわけだ。

テニスのシャツはなぜポロシャツになったのか?

カジュアルな服装のときや、仲間うちでテニスをするときなど、幅広く人気のあるシャツに、ポロシャツがある。

このポロシャツの起こりは、名テニスープレーヤーであり、後にラコステ社を創設するルネーラコステ氏が、より着心地のよい、テニスに最適なシャツをつくるように、イギリスのあるメーカーにオーダーしたのがはじまりだ。

ラコステ氏が提案したのは、ハードなスポーツであるテニスの試合では、大量の汗をかいてシャツがびしよ濡れになってしまったり、プレー中にどんどん上がる体の熱がこもることから体を守ろうというものだった。そこで、汗をどんどん吸収し、なおかつ、上昇した熱をうまく発散させることのできる綿ニットでシャツをつくるように指示したのだ。

ところで、なにかヘンだな? と思わないだろうか。テニス用のシャツに、わざわざほかのスポーツの名であるポロがついていることを。どう考えたって、ポロシャツとポロ競技は結びつかない。では、いったいこのポロは、どこから名付けられたのだろうか。

これは、やはりポロ競技のポロの意味なのだ。当時、ポロ競技用のシャツは、ジャージーを使っていたために、そのシャツを参考にして新しく改良され、つくられたのがラコステ氏提案のポロシャツだったというわけだ。

収縮性のよい生地でできたスポーツウェアといえば誰もがポロ競技用のシャツを思い浮かべる時代だったのだ。

ちなみに、ラコステ社ができてからは、ポロシャツといえば、ラコステ社の看板商品となった。
ラコステ社のシャツは、表編みと裏編みを組み合わせた鹿の子編みの綿ニットでつくられており、そのため布が立体的に交差してすき間ができているので、風通しもよく、しかも熱を逃がしやすいように工夫されている。

さすがに一流の選手が発案しただけあって、テニスウェアにはなにが必要かを十分考慮した、心憎いウェアのひとつである。

アウトドアーブームから流行したジャケットとは

アウトドアーブームが起こって久しいが、一般人にとってアウトドアは、夏に涼しい高原でキャンプをしたり、気候のいい季節に山歩きを楽しむもの、という感覚かおる。ところが、アウトドアーブームがひきがねとなって、大々的にヒットした冬物のジャケットかおることをご存じだろうか。

1970年代、アメリカでアウトドアーブームが起きたときのこと。なにごともとことん凝ってしまうお国柄のせいか、本格的なアウトドアを楽しむ人が多く、当然、気温のかわりやすい山や湖でも自分のからだを温かく包んでくれる、保温性の高い服が望まれた。

そこで一躍脚光を浴びたのが、羽毛、それもフェザーではなく、ダウンだけをジャケットの中にぎっしりと詰めこんだ、非常に温かくて、しかも軽いダウンジャケットだった。

アメリカでは、いまでもダウン・ベストとともに人気の高い衣類のひとつだが、そのアメリカ人がイチ押しするのが、マーモット社のダウンージャケット。

マーモット社は、登山用品の専門メーカーで、シンプルなデザインでありながら、機能性を重視したいろいろな工夫がほどこされ、山男でなくてもファンが多い。

たとえば、すきま風が入らないように、大きめにつくられたフェイスーガードや、たくさん小物を入れられるようになった大型のポケットあり、さらにハンドーウォーマー部分には、これでもか、という具合にたっぶりのダウンがギュウギュウ詰めになっていたりと、数え上げればきりがない。

このマーモット社のダウンージャケットは、ダウンジャケット界の定番中の定番なのだが、日本には輸入されていないため、買い求めることはできない。そう聞くと、ぜひとも欲しくなるのが人情というもの。アメリカ旅行の際に、買い求めるべき。ただし、軽いけれどかさばるので、できれば、冬のアメリカ旅行中に現地調達するのが、賢いやり方だろう。

かつて傘は自前の馬車を持つていない人の象徴だった

日本人が番傘をさしていた時代には、イギリスではすでに傘の軽量化に成功していた。

はじめは太い籐の骨に油などで防水加工した麻の布を貼った傘が使われていた。
しかしこれは見た目も悪く、かなり重かった。

つぎに、骨にクジラの骨が使われるようになり、布も少し軽い木綿や絹が使われるようになった。

そして1850年に鋼鉄の骨が登場した。やがてフレームがU字型のスチールになり、弾力性のある材質で、現在のような丸みのある傘の完成となったわけだ。
そしてこれは、イギリス紳士がつくった数少ない実用品とのことだ。
ところが傘は、はじめは人々からあまり歓迎されなかった。重かったし、格好が悪かったことももちろんあるが、たいそうイギリスらしい理由があったのだ。
つまり、「傘をさしていることはすなわち、自前の馬車をもっていないことの証明であったから」だそうだ。また、日本でも雨が降ると突然タクシーに行列ができるように、傘はロンドンの辻馬車の仕事を奪うものとして、御者だちからも白眼視されたとか。

なんの役に立つのかよくわからないステッキをもって歩くより、傘をもって歩いたほうがよほど役に立つと思うのだが、プライドの高いイギリス紳士には別の考えがあったのだろう。

しかし、なんといっても雨の多い国だ。時代とともに傘派は増え、紳士の持ち物のひとつとして洗練され、素晴らしい傘をつくるブランドもいろいろ登場してきた。

紳士の持ち物は、それがなんであれ、フロックコートとシルクハット姿に似合うもの、という条件がある。

そこで、紳士向けブランドでは傘も一本一本が丁寧なハンドメードとなる。とくに握り手のハンドルの部分はこだわりの対象となり、葦で巻いたり、ヒッコリー、マラッカ(インド産の籐)などを磨き上げたり、皮張り、彫刻付きなどが生まれた。

ヴィクトリア王朝時代から続く紳士用品のブランド「フォックス」では、握り手の先に動物の顔が彫刻された傘があり、すでにヴィクトリア王朝時代に人気商品になっている。

化粧をする男の子はH願望が弱い?

このごろの若い男性は、みんなホントに小綺麗になった。ヘアースタイルはもちろん、洗顔、化粧水、パックをこなし、脱毛のためにエステにかよったり、口臭を気にして、たびたび、「モンダミン」などの口臭予防剤でうがいをする始末。女性としては、カワイク、しかもさっぱりとした男の子が増えてうれしいのだが、ちょっと困ったことがある。

じつは「化粧をする男の子はH願望が少ない」という説があるのだ。ここでの化粧とはニューハーフのようにバッチリお化粧するというのではなく、洗顔からパック、はたまた香水にいたるまで、伊達男が使うような「アラミス」シリーズのセットから、よくCMしている「ウーノ」などのヘアケア商品など、つまりは一般の男性向け化粧品のこ。清潔を心掛けるためのグルーミング用品といったほうがわかりやすいかもしれない。

でも、男の子がオシャレになったのは、女の子に気に入られるためじゃなかったのだろうか。ならば、小綺麗な男の子ほど、女の子にモテるための努力をしているのだから、異性への関心が人一倍強いということになり、性的願望だってギンギンのはずではないだろうか。

この説の根拠は、元来、動物が異性を惹きつける多くの場合は体臭であることによる。男らしい汗や独特の体臭を、石鹸などで消してしまい、そのうえにいわゆる。いい匂い”をふりかけてしまうのが、香水や化粧品の役目。

これじゃ自然界の掟に反するし、セックスにも影響が出てくるハズというもの。
そういわれれば、〃セックスレス時代”なんて言葉も深刻な気がしてくる。ちなみに、男性のほうが女性よりもナルシストが多いという説もある。女性にモテるためにはじめた化粧で、自分の隠れていた美しさに目覚めてしまい、女性どころか自分しか目に入らなくなってしまった人がいるのかもしれない。

赤いロ紅に隠された魔力とは

あまり、お化粧をしない女性でも、口紅の一本くらいはもっているものだが、真っ赤なルージュをもっている女性は意外に少ないかもしれない。

大人になったら挑戦したいと、憧れるのが、真っ赤なルージュらしい。なぜかわからないが、「大人の女=赤いルージュ」という図式が、どんな女性のイメージの中にもあるようだ。

それもそのはず、赤い口紅はじつは発情のメッセージ。赤には男を挑発し、ベッドに誘う意味が隠されているのだ。

ご存じのように、人は興奮すると、心臓が高鳴り血液がドクドクと流れ出し、皮膚は赤みを帯びてくる。異性を惹きつけるということは、つまりは相手を興奮状態にしてしまうということ。
だから、演劇や舞台のお色気役の女性の衣裳は、赤と相場が決まっている。

また、スペインの闘牛で、マタドールが赤いマントをピラピラと振るのも、牛を挑発するよりも、ほんとうは観客をより興奮させるために赤い色のマントを使うのだ。

というように、赤という色には、相手を興奮させる魔力がある。だから、赤いルージュをつける女性には、相手をベッドに誘いたいという、密かな欲情がこめられているというわけだ。

もしも、あなたが、なんだかウズウズして、どうしても赤いルージュをつけたくなったら、よ~く自分の心の中をチェックしてから外出したほうがいいだろう。
無意識のうちに、男性を興奮させる雰囲気が漂っているかもしれないからだ。

ちなみに、赤は赤でも、紫がかった赤や黒みを帯びた赤を好むほうが、より性的願望がつよい証拠だとか。たしかに、ちょっとダークな赤にはゾクッとさせる妖女の雰囲気がある。

自分に合った万年筆を手に入れる方法

万年筆はほかの筆記用具とちがって、一本一本に独特の持ち味がある。いい万年筆との出会いとは、自分のクセや筆圧にしっくり馴染むものを手に入れることだ。
この出会いを恋人との出会いにたとえる人もいる。

まだ自分に合った万年筆に出会っていない人は、いまだ恋人に出会わない幸薄い人ということになるのだろうか。

万年筆と持ち主の出会いはまた、光源氏と紫の上の関係のようでもある。というのはできあかって、店頭に並んでいる品も、買い于にとってはまだ未完成のものなのである。手に入れて使いこむほどに、自分のクセに合った使いやすいものに成長していく。それが万年筆だからである。

ワインが蔵の中で熟成するように、万年筆は手の中で熟成していくというわけである。まさしく紫の上のように。

さらに最初の数か月は調教期、その後に愛情が深まっていくという意味で、ペットと共通するものがあるという人もいる。いやはや大変なシロモノである。

だから、せっかく于に入れたのにそこまで使わずに、投げ出してしまうのは、宝の持ち腐れというものだ。

もっとも、筆圧の高い人に向いているもの、低い入向きというちがいがあるし、ハズレ商品というのもある。育てても自分の思うように育たないこともまた多い。
こういうときは性悪女に出会ってしまったようなものかもしれない。

買うときには、8の字を書いたりして書き心地を調べてみること。できれば、実際にインクを入れてもらって、インクの流れに注意を払うこと。インクがとぎれずに流れなくては、よいペンとはいえないからだ。

ところで、万年筆がはじめて輸入されたのは、明治一八年のこと。カウスースクイログラフィツクペンというのがそれで、丸善が輸入した。明治二八年には、毛細管現象を応用してインクを入れる、いまのスタイルの発明によってつくられたウォーターマンの製品が販売されている。

作家で翻訳家の内田魯庵は丸善の書籍部の顧問として活躍した人だが、書きやすい万年筆が見つからないという文豪・夏目漱石のために、自分が使い慣らした万年筆をプレゼントしている。

調教済みの万年筆なら、漱石にも書きやすいだろうという思いやりだが、自分の子供かもしくは恋人を献上したような気分だったかもしれない。

そんなわけで漱石は、丸善の万年筆の広告に、やがて、文筆家にとって万年筆は必需品になるといったような小文を寄せて、魯庵の気持ちに応えたとか。